こんにちは、epipapaです。
毎年、長女はピティナ・ピアノコンペティションに挑戦しています。先日、C級予選を受け、結局、惜しいところで本選への切符を逃してしまいました。自分の前では、気にしていなさそうな様子でしたが、帰宅後、人知れず落ち込んでいる娘の姿を妻が見つけ、不憫に思い、泣きそうになったとか。
現在、自分はAmazon audibleで「夢をかなえるゾウ3」を拝聴していているのですが、今の娘にピッタリな教えがありました。
①夢は(自分の夢は叶うはずだという)思い込みから始まる、そうするとエネルギーが湧いてくる
②しかし、そういう状態は同時に現実を冷静に見れていない
③そのため、夢を追い始めた者は現実の壁にぶつかる(=失敗する)
④失敗して、失敗して、失敗を繰り返した結果、自分の夢はかなわないじゃないかと不安になる
⑤しかし、失敗するということは現実を学んでいるということ、つまり、夢を実現するためには何が必要かを身をもって学んでいるということ、そもそも失敗というのは現実を知る過程に過ぎない
エジソン「失敗は存在しない、うまくいかない方法を学んだのだ」
引用元:夢をかなえるゾウ3
コンクールに落ちても、娘は、また受けてみる!!と前向きな態度を崩しません(練習をするかどうかは置いといて…)。意外に根性あるなとパパ目線では思っています。なぜ、つらい練習をして、結果が悪くても、それでもやめずにまた練習に向かうことができるのか…ですが、「夢をかなえるゾウ3」にはこう書かれていました。
いままで自分にできなかったことができるようになったり、勇気を出して行動することに達成感を覚えたり、頑張ることをしなければ決して味わうことのできなかった喜びを「知ってしまった」から。
引用元:夢をかなえるゾウ3
先日のブログに書いたバレー漫画「ハイキュー!!」にもこの問いの答えになるようなことが書かれていました。「どれだけバレーの練習をしたところで世の中には上がいる、いつかは誰かに負けるのに頑張る理由がわからない」という月島(ツッキー)の疑問に対し、友人の山口が答えます。
プライド以外に何が要るんだ!!!
引用元:ハイキュー!!
それでも納得のいかない月島は別の学校の先輩にも問いかけます。「どうしてそんなに必死にやるんですか?バレーはたかが部活で、将来、履歴書に『学生時代部活を頑張りました』って書けるくらいの価値しかないんじゃないですか?」返答はこうでした↓
"その瞬間"が有るか、無いかだ。ーただ、もしもその瞬間が来たら、それが、お前がバレーにハマる瞬間だ。
引用元:ハイキュー!!
つまり、”その瞬間”、"達成感"、"喜び"を”知ってしまった”ら、人間は挫折してもまた挑戦したくなるのだろうという答えです。
長女は、コンクールでグランプリ受賞歴があり、ピティナでも全国に行けたこともあります。みんなにちやほやされて、嬉しかった幼少時の記憶が鮮明に残っているのだと思います。そういった経験を"知っている"ので、何度でも挑戦しているんだと思います。次回、来月に2つ目のピティナ予選です。パパとしては予選通過を期待して応援しています。
ところで…全然、話は変わりますが、メイウェザーと朝倉未来戦が決まったというニュースがあって、そこからメイウェザーの現役時代のボクシング試合を見ていると、やっぱり喧嘩でボクシングは最強そうだな…と感じたのですが、次のYoutube動画を見て、自分の認識の甘さと言うか浅はかさを痛感しました。やっぱり、物事は多面的に、視野を広く持たないとなと、思った次第です。「15歳からの地政学」で学んだはずなのにもう忘れてる(笑)