パパになって幾年

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志村けんさんが亡くなった

こんばんは、epipapaです。

 

タイトル通りだけど、2020年3月29日に志村けんさんが亡くなった。昨日の朝、スマホがアラームを鳴らしたので、確認すると「速報」が書かれていた。衝撃が走るとともに、これは大変なことが起きたと直感的に思った。以降、昨日は(今もだけど)なんだか仕事にやる気がおきない。大袈裟だと思うかもしれないが(自分でも多少意外だったけど)、案外「志村けん」は自分の幼少期に深く影響を与えていたのかもしれない。

 

思えば、志村けんとよく自分は間違われていた(理由はここでは書かないけど)。特に子供の時。ただ、間違われても嫌な気がしたことは1度もない。「8時だヨ!全員集合」はTVで見たことはないが『最初はグー、またまたグー、いかりやちょうすけ頭がパー、正義はかつ!じゃんけんぽん!』は知ってる。そして、自分の娘もじゃんけんする時には最初はグーしてる。『かーらーすーなぜなくのー?カラスの勝手でしょー』もいつの間にか自分は知っているし、むしろ本当の歌詞の方が印象が薄い。子供とお風呂に入っては、よく口ずさむのはドリフターズの「いい湯だな」。いまだに生活の一部に「志村けん」がいる。

 

自分の父の若い頃と、志村けんの若い頃の印象が自分の中では少し近いとも思う。「昭和はみんなそんな感じ」だったのかもしれないが、うちの父も昔、自分の前で志村けんのようにスイカ早食いを披露したことがあったような気もする。ゲームにどっぷりはまっていた当時の僕は、PCエンジンの「カトちゃんケンちゃん」も当然遊んでいた。スーパーマリオのような横スクロールアクションゲームだったが、マリオは「ふみつけ」で敵をやっつけるのに対し、「カトちゃんケンちゃん」は「ふみつけ」以外に「オナラ」というのがあり、いわゆる「クソゲー」ってやつでした(違うか)。「ケンちゃんラーメン」も大好きだったなぁ。そういえば、いつかの宴会の芸で「ひげダンス」もやったことあるわ。

 

大人になってからはあまり見なくなっていたけど、「バカ殿様」は子供の頃よく見て笑ってた。最後は笑い泣きではなく、訃報で泣かせるなんて、本人とっては不本意だろうがどうしようもない。亡くなるにしても、こんなところでポックリ逝ってほしくなかった。志村どうぶつ園では、チンパンジーのプリンちゃんが志村園長にすっごくなついていたし、志村園長もプリンちゃんを見る表情がとてもやわらかで、優しかった。その様子を見ているこちらが落ち着くというか。孫をあやすお爺ちゃんを見ているような感覚。園長が急に来なくなって、プリンちゃんやパン君は大丈夫なのだろうか。

 

いかりや長介さんが亡くなったのが72歳、荒井注さんは71歳、そして志村けんさんは70歳。1つの時代や文化を築いたドリフターズのメンバーが一人、一人で消えていく。日常生活は続いていくけど、今後「志村けん」が見れなくなることの喪失感が大きい。替えがきかない。新しい時代、新しいお笑いは毎年出てくるけど、「志村けん」の笑いがもう、2度とみれないという事実がこれほど重いとは。

 


【8時だよ全員集合-OP-ED特集】